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結婚相談所「お見合いHistory (歴史) その2」 【男女共通編】≪第31回≫

2020.12.29 婚活コラム

婚活での「お見合い」の起源とは?(連載②)

 

1.古代から平安時代のお見合い

 

前回その1ではお見合いの起源から歴史の概要、現代との比較などを話しましたが、今回は古代からの時代ごとのお見合いについてふれます。

 

 

通い婚から婿取り婚へ

古代では、恋愛はきわめておおらかなもので、結婚との線引きは曖昧なもので、男女が気ままに結婚する「集団婚」が行われていました。

当初は生まれた子供は母のもとで育つものでしたが、やがて男性が女性の家に通う「妻問婚(つまどいこん)」の形に発展していきます。

古墳時代にこの「妻問婚」が行われたようで、“つまどい”の語は古事記や日本書紀、

万葉集などの書物に見られます。「妻問婚」は、結婚といっても夫婦は別居の形でした。

求婚は、男性が女性の家の窓や戸口のすきまなどから呼んだり、男性の求婚歌に、女性も歌で答えるなどの方法が行われていました。

有名な「竹取物語」でも、5人の貴族がかぐや姫の婿になろうとあらゆる手段を

用いて“よばひ(呼ばひ)”、つまり求婚をしています。

平安時代になると「源氏物語」にも書かれているように、夫が妻の実家に行く「通い婚」を経て、同居するのが一般的となります。

こうして「妻問婚」はしだいに形を変え、同時に別居から同居(女性側)へ移行していったのです。

 

 

2.鎌倉から戦国時代のお見合い

 

 婿取り婚から嫁取り婚へ

鎌倉時代になると「婿取り婚」の形をとりながらも、妻側の同居から夫側に移住するようになり、母系家族の形が崩れ始めます。父権が強くなっていくのと同時に「婿取り婚」から「嫁取り婚」へしだいに移っていくようになりました。

それに伴い、結婚は家と家との結びつきが濃くなり、武家などでは政略結婚が盛んに

行われるようになりました。

結婚が政略的な意味を持ち始めると、婚姻の儀式も派手さを増し、現代でのお色直しや引き出物、里帰りなどの風習はこの時期に生まれたものです。

 結婚相手をお世話する「仲人業」が登場したのも鎌倉時代からです。

それまでは、本人同士で求婚が行われており、「媒(なかだち)」と呼ばれる使者を立てていました。

しかし、媒は後代の「媒酌人」とは違い、単なる求婚者の案内人や使者に過ぎません

でした。

それが、武士社会となり、没落した貴族階層、戦争にまきこまれた武士階級の女性たちの身を斡旋する「中媒(ちゅうばい)」と呼ばれる職業に発展しました。

中媒業に対しては取締りのご法度も出ていたようです。

 

3.江戸時代のお見合い

 

 家父長制の嫁取り婚

江戸時代になり、家父長制が強まると、婚姻は家を中心に取り決めるようになります。

結婚に「仲人」が介在するようになり、江戸後期には現代の見合い結婚に近い形が全国に広がっていきました。

江戸中期には、浪人武士、町人などの間に「肝煎所(きもいりじょ)」と呼ばれる「結婚媒介業」が登場しました。肝煎所は職業紹介も兼ねていたようで、雇用斡旋業から結婚媒介所へ移行した人もおり繁盛していたようです。

一方大多数を占めていた農漁村には、比較的自由でおおらかな恋愛関係が存在していました。

 

 

4.明治・大正から昭和初期のお見合い

 

 一夫一婦制の法律婚

明治時代に入り、近代西洋を模倣し明治三十一年に民法が裁定され、それまで村落・

家・個人などの取り決めに委ねられてきた結婚は、法制度の中に組み込まれることに

なりました。

明治の民法は一夫一婦制を採用し身分制度を廃止しましたが、結婚した女性の権利が弱く男女不平等なものでした。

明治になり西欧から入ってきた文化の一つに「恋愛」があります。

しかし、啓蒙により恋愛が宣伝されたものの、恋愛と結婚を結びつける意識は薄いものでした。

そして、近代日本に台頭してきたのは恋愛結婚ではなくお見合い結婚だったのです。

「高砂業(たかさごぎょう)」と呼ばれる「仲人業」があらわれたのもそのことを物語っています。

明治十三年に、大阪で始まった仲人業がその元祖と言われ、明治十七年には東京・

日本橋に「結婚媒介所」が誕生しています。

またこの頃から新聞も普及し始め、自分の略歴、相手の希望条件を新聞に掲載して、結婚相手を見つけようとする「結婚広告」も出現しました。

このような背景には、貨幣経済の導入による村落共同体の崩壊があり、大都市へ人口が

集中したことにより、地縁や血縁を頼りに結婚相手を探すことが難しくなっていった

のです。

そして昭和八年には、東京市に公立の結婚相談所が設けられました。

 

 

5.昭和時代のお見合い

 

 お見合い結婚から恋愛結婚へ

戦争の敗戦という経験を経て、日本は民主国家として生まれ変わります。

「結婚は結婚する当人が決めるべきもので、夫婦は平等」と憲法に定められ、結婚は家の結びつきから次第に個人の結びつきへ移行していきました。

戦後の混乱の中、社会問題になったのが結婚適齢期の男性の激減です。

女性にとって厳しい結婚難が訪れ、その打開策として提言にもより、自宅を開放しての集団見合いや未婚男女を集めた大規模なパーティーが開催されました。昭和二十七年には「結婚相談室」が設立され、結婚斡旋の関連企業が続々と誕生しました。

 

 

6.現代のお見合い

 

 カジュアルお見合いが登場

恋愛結婚が主流となっている現代は、お見合いは以前ほど盛んではありません。

しかし日本古来のシステムであるお見合いも、最近は伝統にこだわらず気軽に行われ

ています。

パーティー形式のお見合いもあり、自然な形で出会うことができるものも多く見られます。

場所も様々な場が利用され、お見合いの形式を引き継ぎつつも恋愛と変わらない雰囲気で相手を探すことも可能です。

お見合いであれば恋愛よりも結婚に結びつく可能性が高いといえます。

お見合いは本当に結婚したいと思えるようになり、家庭に対して具体的なイメージを描けるようになったら考え始めるのが良いと思います。

 

 

【今回のまとめ】

・婚活は古代・平安時代から行われてきました

・明治になり西欧から入ってきた文化の一つが「恋愛」です

・現代ではカジュアルなお見合いが登場し定着しています

 

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